聖地ルルドを訪れる
ルルドの奇跡
クリスチャンではないし宗教的知識が希薄な私でも聞いたことがあります。
恥ずかしながら、
ここの洞窟の泉の水を飲むと病気が治る、んだっけ??
たしかピレネーの近くの小さな街ってガイドブックに書いてあったような気が。。。
程度の知識しかありませんでした。
彼はもの凄いカトリックって訳でもないのですが(仏教徒と結婚しちゃうくらいだから)、日曜のミサは極力行くし、回りにも信仰心が強い人が多いため、私にルルド詣でをさせるのはかなり意味のあることだと思っているようでした。
ルルドに行くってことが決まってからというもの、彼や彼の友人や親戚が、熱心にルルドの奇跡について語るので、少しですが知識がついてきました。
と、言っても
巡礼地ルルドの歴史はそんなに古いものでは無いということ。1858年〜
羊飼いの無学な少女ベルナデットの前にマリア様が幾度と無く現われ、「現世でのあなたの幸せはかなえられないが、来世でのあなたの幸せを約束しよう」と、言い、その後日「この泉の水を飲み、その水で顔を洗いなさい」ととある場所を指差す。ベルナデットがそこを掘り、出て来た水を飲んだ
マリア様は彼女にしか見えなかったため回りからはおかしな目で見られるが、マリア様からの伝言を教会に伝えると、無学な少女が知る訳も無い事柄であったため、皆が信じるようになった。
その後、この泉の水を飲んだ病人や障害者が奇跡的に治癒したといった奇跡がたくさん報告されるようになり、今でも巡礼者が後を絶たない。
くらいです。
それでも、
洞窟がある田舎街
くらいにしか思っていなかった私は、ルルドの街に入って驚愕!!!
パリより混雑しているんじゃ?ってくらい人がたくさん。
ホテルが林立し、お土産物屋、レストランが軒を連ねていて、観光バスが行き来しているのです。
レストランはありとあらゆる国から来る巡礼者を受け入れるため、イタリア料理、スペイン料理、インド料理、と、もの凄く多彩。
逆にパン屋とか八百屋といった生活に密着した店舗は見当たりません。
まさに
伊勢のおかげ横町
教会の敷地内は金品のやり取り、飲食は一切禁止ですので聖地っぽくなりますが、
教会も一つではなく複数の教会が敷地内に入っているのです。
教会の壁はルルドのおかげで病気が治った人からの寄贈を記す文字で埋め尽くされています。
教会では時々みかけるこの壁の文字。
ここまで所狭しとぎっしり埋め尽くされているのは初めて見ました。
洞窟&教会のある敷地はドポー川という川に面しています。
教会と川を挟んで隣には重病の巡礼者をケアする巨大な病院施設。(前の教皇のヨハネパウロ2世も死の少し前ここに宿泊し巡礼したそうです)
マリア像。
ルルドのマリア様のシンボルはバラです。
そのせいか、マリア像に手向けられた花束はバラがほとんどでした。
せっかくなのでマリア様が出現されたという洞窟にも行きました。
かなりの行列です。
でも洞窟内では立ち止まることが基本的にダメでガードマンがしっかり見張っているので列の長さの割には進みはよく
壁に取り付けられた
「ここの泉の水を飲み、顔を洗いなさい」
というマリア様の言葉の各国言語版(日本語もあったのだけれどうっかり撮り忘れ。。)
を眺めているうちに
洞窟内に!!!
洞窟の壁は巡礼者がご利益を得ようと触るためツルンツルンになっていました。
マリア様が現れた場所にはマリア像が
肝心の泉は保護のため厚いガラスがはめ込まれていました。
キリスト教から距離を感じている私にも、ここが神聖な場所ということが分かる空気がありました。
が、洞窟の前でひたすら祈る人々のあまりの真剣さが正直怖くって。
祈りという定義が明らかに日本人のものとは違う種類ということを感じずにはいられませんでした。
日本の場合、祈るというより感謝する。お願いする(あまり効果のほどは期待しない)。といったかんじですが、こっちはひたすら神頼み、祈る事自体が修行であるという印象を強く受けました。
洞窟の隣には裸に薄布で体ごとルルドの聖水に浸かれるプール(といっても小さなバスタブ)がありました。さすがにそれはパス。
夜のルルドはその神秘性が数倍増になります。
はるか遠くからロウソクを持った人たちがメイン教会に向かって練り歩く様はかなりのインパクト。
大音響でミサがスピーカーから流れ、賛美歌で溢れます。
これが毎日だというのだから驚きです。(冬はかなり巡礼者が少なくなるらしい)
上の写真は聖水が飲めるスポット。(蛇口がたくさん取り付けられています。)
被災地の給水風景のように大きなポリタンクやペットボトルを大量に持って来てひたすら水を入れる巡礼者も少なくありません。
水は冷たくてとても美味しいです。
光に浮かび上がる洞窟のマリア像の前でひたすら祈る人たち。
この街が祈りのための場所ということを改めて感じた瞬間でした。
私が訪れた8月15日はマリア様が天に召された事を祝うキリスト教の祝日。
マリア信仰のルルドで1年で一番盛り上がる日。
この日にルルドを訪れることができてラッキーでした。
が、驚いたことに翌日から私達の泊まったキャンプ場初めたくさんの施設が休業となってしまったのです。キャンプ場なんかは場内の自動販売機を一旦メーカーに持って行ってもらうくらい厳戒態勢。
キャンプ場のオーナーやスーパーで会った地元の人によると、、
「明日はマヌーシュ達のルルド詣での日でスゴい数のマヌーシュ達がヨーロッパ各国から集まり大騒ぎになるんだ。奴らは教会の外の全てを壊し盗んで行くから毎年被害がすごいんだよ。」
マヌーシュ、ロマともかつてはジプシーとも言われた人たちです。
そういえばそこら中でキャンピングカーが大挙して駐車されているスポットがありました。
フランスでも田舎に行くとキャンピングカーの集団がまるで集合住宅のごとくあつまっている風景を目にします。
私の知る限り、歴史の中でつねに差別され迫害された民族。
定住を好まず、旅に生きる民族。
手先が起用で音楽の才能に富んだ人々。
ロマと聞くとチゴイネルワイゼンが頭に流れてしまう、どこか哀愁を感じるのキーワードなのですが、
実際、ヨーロッパでは彼らの回りは犯罪の宝庫。
無法地帯の住民。
集まってしまうとやはり恐ろしいの一言なのです。
神の愛と奇跡を説く巡礼の街で、同じ神を信じているにもかかわらず敵対する人々の様子。
非差別の怒りを理由に人の生活を破壊し、盗みほくそ笑む醜さ。
どうにかならないのでしょうか??
すこし黒い雲が心を覆い、すっきりしない気持ちで帰途についたのでした。
クリスチャンではないし宗教的知識が希薄な私でも聞いたことがあります。
恥ずかしながら、
ここの洞窟の泉の水を飲むと病気が治る、んだっけ??
たしかピレネーの近くの小さな街ってガイドブックに書いてあったような気が。。。
程度の知識しかありませんでした。
彼はもの凄いカトリックって訳でもないのですが(仏教徒と結婚しちゃうくらいだから)、日曜のミサは極力行くし、回りにも信仰心が強い人が多いため、私にルルド詣でをさせるのはかなり意味のあることだと思っているようでした。
ルルドに行くってことが決まってからというもの、彼や彼の友人や親戚が、熱心にルルドの奇跡について語るので、少しですが知識がついてきました。
と、言っても
巡礼地ルルドの歴史はそんなに古いものでは無いということ。1858年〜
羊飼いの無学な少女ベルナデットの前にマリア様が幾度と無く現われ、「現世でのあなたの幸せはかなえられないが、来世でのあなたの幸せを約束しよう」と、言い、その後日「この泉の水を飲み、その水で顔を洗いなさい」ととある場所を指差す。ベルナデットがそこを掘り、出て来た水を飲んだ
マリア様は彼女にしか見えなかったため回りからはおかしな目で見られるが、マリア様からの伝言を教会に伝えると、無学な少女が知る訳も無い事柄であったため、皆が信じるようになった。
その後、この泉の水を飲んだ病人や障害者が奇跡的に治癒したといった奇跡がたくさん報告されるようになり、今でも巡礼者が後を絶たない。
くらいです。
それでも、
洞窟がある田舎街
くらいにしか思っていなかった私は、ルルドの街に入って驚愕!!!
パリより混雑しているんじゃ?ってくらい人がたくさん。
ホテルが林立し、お土産物屋、レストランが軒を連ねていて、観光バスが行き来しているのです。
レストランはありとあらゆる国から来る巡礼者を受け入れるため、イタリア料理、スペイン料理、インド料理、と、もの凄く多彩。
逆にパン屋とか八百屋といった生活に密着した店舗は見当たりません。
まさに
伊勢のおかげ横町
教会の敷地内は金品のやり取り、飲食は一切禁止ですので聖地っぽくなりますが、
教会も一つではなく複数の教会が敷地内に入っているのです。
教会の壁はルルドのおかげで病気が治った人からの寄贈を記す文字で埋め尽くされています。
教会では時々みかけるこの壁の文字。
ここまで所狭しとぎっしり埋め尽くされているのは初めて見ました。
洞窟&教会のある敷地はドポー川という川に面しています。
教会と川を挟んで隣には重病の巡礼者をケアする巨大な病院施設。(前の教皇のヨハネパウロ2世も死の少し前ここに宿泊し巡礼したそうです)
マリア像。
ルルドのマリア様のシンボルはバラです。
そのせいか、マリア像に手向けられた花束はバラがほとんどでした。
せっかくなのでマリア様が出現されたという洞窟にも行きました。
かなりの行列です。
でも洞窟内では立ち止まることが基本的にダメでガードマンがしっかり見張っているので列の長さの割には進みはよく
壁に取り付けられた
「ここの泉の水を飲み、顔を洗いなさい」
というマリア様の言葉の各国言語版(日本語もあったのだけれどうっかり撮り忘れ。。)
を眺めているうちに
洞窟内に!!!
洞窟の壁は巡礼者がご利益を得ようと触るためツルンツルンになっていました。
マリア様が現れた場所にはマリア像が
肝心の泉は保護のため厚いガラスがはめ込まれていました。
キリスト教から距離を感じている私にも、ここが神聖な場所ということが分かる空気がありました。
が、洞窟の前でひたすら祈る人々のあまりの真剣さが正直怖くって。
祈りという定義が明らかに日本人のものとは違う種類ということを感じずにはいられませんでした。
日本の場合、祈るというより感謝する。お願いする(あまり効果のほどは期待しない)。といったかんじですが、こっちはひたすら神頼み、祈る事自体が修行であるという印象を強く受けました。
洞窟の隣には裸に薄布で体ごとルルドの聖水に浸かれるプール(といっても小さなバスタブ)がありました。さすがにそれはパス。
夜のルルドはその神秘性が数倍増になります。
はるか遠くからロウソクを持った人たちがメイン教会に向かって練り歩く様はかなりのインパクト。
大音響でミサがスピーカーから流れ、賛美歌で溢れます。
これが毎日だというのだから驚きです。(冬はかなり巡礼者が少なくなるらしい)
上の写真は聖水が飲めるスポット。(蛇口がたくさん取り付けられています。)
被災地の給水風景のように大きなポリタンクやペットボトルを大量に持って来てひたすら水を入れる巡礼者も少なくありません。
水は冷たくてとても美味しいです。
光に浮かび上がる洞窟のマリア像の前でひたすら祈る人たち。
この街が祈りのための場所ということを改めて感じた瞬間でした。
私が訪れた8月15日はマリア様が天に召された事を祝うキリスト教の祝日。
マリア信仰のルルドで1年で一番盛り上がる日。
この日にルルドを訪れることができてラッキーでした。
が、驚いたことに翌日から私達の泊まったキャンプ場初めたくさんの施設が休業となってしまったのです。キャンプ場なんかは場内の自動販売機を一旦メーカーに持って行ってもらうくらい厳戒態勢。
キャンプ場のオーナーやスーパーで会った地元の人によると、、
「明日はマヌーシュ達のルルド詣での日でスゴい数のマヌーシュ達がヨーロッパ各国から集まり大騒ぎになるんだ。奴らは教会の外の全てを壊し盗んで行くから毎年被害がすごいんだよ。」
マヌーシュ、ロマともかつてはジプシーとも言われた人たちです。
そういえばそこら中でキャンピングカーが大挙して駐車されているスポットがありました。
フランスでも田舎に行くとキャンピングカーの集団がまるで集合住宅のごとくあつまっている風景を目にします。
私の知る限り、歴史の中でつねに差別され迫害された民族。
定住を好まず、旅に生きる民族。
手先が起用で音楽の才能に富んだ人々。
ロマと聞くとチゴイネルワイゼンが頭に流れてしまう、どこか哀愁を感じるのキーワードなのですが、
実際、ヨーロッパでは彼らの回りは犯罪の宝庫。
無法地帯の住民。
集まってしまうとやはり恐ろしいの一言なのです。
神の愛と奇跡を説く巡礼の街で、同じ神を信じているにもかかわらず敵対する人々の様子。
非差別の怒りを理由に人の生活を破壊し、盗みほくそ笑む醜さ。
どうにかならないのでしょうか??
すこし黒い雲が心を覆い、すっきりしない気持ちで帰途についたのでした。
by catitude
| 2011-09-06 22:20
| 旅